零戦の分解について(91.12.7−8,京都嵐山美術館にて)
ずいぶん、前になりますが以前、京都嵐山美術館が閉館するということで、白浜へ移動の際にボランティアで
分解に行って参りました。航空関係の集団ということで知識はそれなりにあるのですが、会社にあるツールは
全て、インチサイズであり、また、現在の飛行機と比べ整備性(効率)無視したような構造であり、エンジンを取
り降ろすのに、丸一日かかりました。現在の旅客機のエンジンではせいぜい5−6時間と比べるとツールは使い
にくい、アクセスするのに手間取ることが難関でした。当日は、疾風分解班と零戦分解班に分かれ10名そこそ
こで実施しました。私の方は、海軍機が一番と言うことで(実は、全然泳げない)零戦を担当しましたが、隙を見
て、疾風班にも顔を出して見ましたが、疾風の画像が、ほとんどないのか゜残念です。
現在、この零戦は、呉の海事博物館、疾風は知覧特攻記念館と別れて保存されていますが、零戦はもちろん
当時でも腐食がひどく、疾風に至っては、来場者が触りまくり痛々しく、フライト可能であったのにも係わらずこの
時既に、スピンナー後部のエンジン側クランクケースに大きな割れがあり、京都にくる時に割れたのか不明です
がクランクケースを交換しない限り、もうフライトは不可能であると感じました。
以下、少ない画像ですが、分解される過程を紹介します。



87年3月頃、京都嵐山美術館を訪ねて、この数年後分解されるとは。。。ところで、「コラッ、プロペラ触ったらあかんで!」
91年、12月7日いよいよ、閉館となり、分解することになりました。、偶然にも真珠湾奇襲の1日前!

エンジンとマウント取り付け部 前方より、カウリングの取り付けは、右斜上と左斜下にあり
胴体外板を取り外す、OIL T 小さなカバーを外すと、ターンバックルで締め上げて固定する
ANKが覗く。 方式であり、まずこれを緩めるのに一苦労。
カウリング、上下を外しエンジン取り付けマウント毎 エンジン取り卸準備OIL チェーンブロックを使い
外しに掛かる。 冷却取り入れ口を外す。 エンヤコラー。

エンジン取り卸完了。 後部胴体の切り離しに掛かる。

後部胴体を切り離し完了状態。 計器は殆ど、見学者に持ち帰られ
後部は、引き揚げられた時ほとんど腐食が酷く とか。計器板は、末期製造の為に
模型屋さんで、製作されたと聞いています。 木製であった。後で、取り付けられ
たもので無ければ、98式照準器で
なく4式射爆照準器が取り付いてお
り後期型であることが証明される。 おまけ 疾風について
この時、疾風にはあまり、手を掛けることができなかったが、コックピットに座ってみて殆ど前が見えなかった
ことや、三菱系(零戦)とは違い胴体には、アクセスパネルが設けられ、整備性を考慮された機体であると思
いました。また、エンジンには、冷却フィンがぎっしりと、焼き嵌めで取り付けられ、アメリカ製の最初からフィン
も一体で、完成された物でなく、このエンジンを一台完成させるのに、いったいどのくらいのマンパワーが注が
れたものか非効率さをも感じずにはいられないような気がしました。現在の品質管理(誰が、作っても一定の
性能が出せるような設計)があれば、もっと素晴らしかったのでは。。。最も、戦後はアメリカを抜き世界一の
品質管理に達したことは皆さんもご存知であるはず。
京都嵐山美術館を尋ねた87年3月頃、疾風の奥にパラシュートが吊るして在ったのはすっかり忘れていました。

翼フィレット付近に立つ、胴体(キャノピー後方)には、整備用 取り降ろされた誉エンジンと共に
アクセスパネルが設けられている。 これも、やはりマウント取りつけ部
(顔は、隠せても体型が今ひとつなのはご愛嬌) から、取り外された。私の身長は
171cmなので、如何に大きいか。
フィンは、数ミリ単位の間隔で、シ
ンダーに取り付けられその間を
パイプやハーネス類がぎっしりと
納まり、その間に手を入れる隙間
を捜すのが難しい。正に職人技!